そこで、松岡監督がまず取り組んだのは選手たちの意識改革。日本代表に選ばれるトップクラスの選手たちと練習することで「外の力」を知り、有望選手をスカウトすることで部のムードを一変させた。「やるからには魂を込めて最後までやり抜く。世界を目指すという同じ目標に向かって努力する」。選手たちの意識を一つのベクトルに収れんさせることで「チームがまとまっていった」と松岡監督は話す。
その成果として、国際大会で優勝する選手も出てきた。ただ、2000年開催のシドニー五輪の日本代表には部員を送り出せず、松岡監督が自らに課した目標は果たせなかった。
このころ日本はデフレ不況が深刻化し、有力企業が野球部やバレーボール部などを廃部・縮小する動きが相次ぎ、コスト削減の嵐の前に日本の企業スポーツは苦境に陥った。コマツも業績悪化に一時見舞われたが、トップの強い意志もあって女子柔道部は活動を継続し、危機的な時期を乗り越えた。
松岡監督は、04年のアテネ五輪の日本代表を部員から出せなかったら「責任を取って辞任しよう」とひそかに決めていた。エースとして現れたのが、松岡監督が高校時代から注目していた63キロ級の谷本歩実選手(現コーチ、海外研修中)だった。筑波大学を卒業して04年に入社し、女子柔道部に入部した谷本選手はアテネ五輪代表の座を4月に獲得。五輪の大舞台で全試合、一本勝ちを収め、金メダルに輝いた。
◆勝っても負けても感動
松岡監督のチーム一体化策が功を奏し、コマツの社員挙げての応援も盛り上がりをみせ、女子柔道部は輝きを増した。谷本選手の活躍を機に、年間会費が1人1000円の後援会組織も立ち上げられた。会員はOBらも含めて現在6700人に上り、グループ各社と販売代理店など151社も参加している。