〈ところが95年に市場環境は一変する〉
「バブル崩壊の余波によって日本経済が停滞し、電力使用量の伸びが止まってしまった。電源開発促進法によって、当社のミッションは9電力会社の補完と定められ、卸売り以外は禁じられていたから、手のひらを返したように開発事業がなくなってしまった」
〈1995年の夏、自民党内に行政改革推進本部が設立され、財政再建の一環として公社公団などの民営化が打ち出された〉
「長期的に電力需要が伸びる見込みはなかった。日本経済の不振に加え、猛烈な勢いで人口が減少することが予見されていた。特殊法人として長く生き残る道は見当たらなかった。95年から企画部長として民営化問題に取り組んだが、当初は社内に広まると衝撃が走るので、1人で策を練った」
〈電力会社の民営化は英国のサッチャー首相が道筋をつけた〉
「英国では、政府と石炭労組の100日戦争をはじめ、国営電力を含めた民営化への動きは苛烈を極めた。欧米にひろがる民営化・自由化の動きを見ると、政府に求められる前に、企業自ら腹をくくった方がよいと考え、1年かけて数十ページの大論文をまとめた。要はなぜ『電発』の歴史を変える必要があるのか、全面民営化によって、“新”電源開発は何をねらっていくのか、というのが骨子だった」
「社内の大半は『そこまでの荒療治は…』といった雰囲気だったが、やるならば完全民営化しかないというのが私の考えだった。段階的に進めた場合、政府や電力会社による縛りが残り、自発・自律的な事業活動が妨げられる。電力の自由化がグローバルに広がる中で、特殊法人では自由競争の場に参加できなくなる恐れがある」