義父に「ホンダが風邪をひけば、うちは肺炎で死んでしまう。得意先を増やしたい」と進言したが、「生意気を言うな」と一喝されるだけ。それでもあきらめきれず、つてをたどってホンダのライバル会社であるヤマハ発動機にも営業を掛けたところ、商談が成立。ヤマハとホンダはライバル関係で、義理の兄を社長にたて、営業責任者として、86年に別会社の「アスカ」を創業。アスカを通じてヤマハと取引を続け、その後も将来をにらみオリジナルブランド「LAVEN(ラベン)」を設立。いすゞ自動車や日野自動車などにも順調に販路を開拓するなど、会社規模を拡大していった。
一方で、安価な中国製が業界に参入し、オートバイ業界も衰退していくなか、神戸合成の主力製品である、ブレーキクリーナーやチェーンオイルなどのケミカル製品の売り上げにも陰りが見えてきた。
2002年、本社と工場を兵庫県の明石市から小野市の工業団地に移転。同時に年商の3%を毎年投資して、次世代コーティング剤の開発に専念した。ディーラーが車を売っても収益がない時代、付加価値のある商品が重要になると感じたからだ。社長に就任し、05年には自動車ボディー用フッ素系コーティング剤を発売。続いて汚れのつきにくい親水ガラス系コーティング剤を売り出した。しかし、販売は伸び悩んだ。