ベクトルは欧米型のPR会社を標榜(ひょうぼう)し、企業広報を支援するだけでなく、PR戦略を立案する段階から関わることを目指していた。吉柳さんも「いずれ日本に欧米型PRが浸透する」と確信していたが、初めは全く仕事がとれなかった。「最初にPRとはこういうものだと説明していた」時代だった。
だがそうした状況も、仕事をこなすうちに変わっていった。2002年のサッカー・日韓ワールドカップでは、国立競技場で行われた日本初のパブリックビューイングを担当するなど、数々の重要なプロジェクトを陰で支えてきた。
◆最終目標は世界一
20歳のときから自身や会社の目標を「夢ノート」にまとめ、年に1度修正している。一番初めに書いた目標は「ベクトルにカンパニー制を導入し、傘下の事業会社社長になること」。海外に進出したいとも書き記した。06年にプラチナム社長となり、ベクトルもアジア進出を果たしたことで、夢の大半は実現した。昨年11月には東証1部に上場し、大企業の仲間にも加わることもできた。
もっとも、心の底から達成感を感じたことはない。「世界一のPR会社になるのが目標。アジア1位にもなっていない」。最終目標が達成されるまで、PRウーマンとしての自分磨きを止めるつもりはない。(井田通人)
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