京都市に本社を置く世界的な計測機器メーカー、堀場製作所の創業者で、学生起業家の草分けだった同社最高顧問の堀場雅夫(ほりば・まさお)氏が、肝細胞がんのため、90歳で死去した。「仕事が楽しくない社員は会社を辞めてくれ」と繰り返し語り、「お疲れさま」という言葉を嫌った。今ならパワハラと思われるような態度かもしれないが、そこには「おもしろく仕事をした人には、それだけの恩恵を神様が与えてくれる」という信念が込められ、むしろ多くの社員の心をつかんだ。
創業の歴史は、戦後70年と重なる。堀場氏の人生は決して、順風ばかりではなかった。
終戦直後、京都帝国大(現京都大)に戻り、1945年10月に「堀場無線研究所」を設立。核物理実験用の高速演算機に必要なコンデンサーを自作するため、三日三晩、寝る間を惜しんで作動状態を凝視し続けたこともあった。食料難で「飢えの恐怖」と闘いながらの開発だったという。
苦労して生み出したコンデンサーの性能は良く、量産化のめどが付いた。しかし、朝鮮戦争による資材高騰で工場建設を断念。多額の借金を抱えた。酸性値などを測る自作のpHメーターが復興需要に乗って売れていなければ、事業継続そのものも危うかった。
あるときには、ガス分析器の性能を上げるため、質の良い金メッキを求めて欧米を探し回ったが、見つからなかった。帰国したところ、京都市内にある仏具用メッキ工場で理想的な金メッキに巡り合った。