--そうした路線を進めていくと、テイコク製薬社自体はメーカー的色彩を強めていくのでは?
「創業者の祖父が遺した社是を分かりやすく言い換えれば、『病気になったら人間にとって一番大切な命とお金が同時に失われる。だから病気で本当に困っている人には、その悩みが自分のことだと思って接しなさい』ということです。これを引き継ぐ私にとっては、『健康増進』をいかに進めるかが大事なので、ドラッグストアとか調剤薬局という経営の形にこだわるつもりはありません」
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【プロフィル】畠山兼一郎
はたけやま・けんいちろう 1960年生まれ。2代目社長・文雄氏(現取締役会長)の長男。独協大学法学部卒業。大手製薬会社に4年半勤務の後、テイコク製薬社に入り、約5年の現場勤務で店長などを経験して96年、34歳で父を継いで代表取締役に就任。
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■沿革=1921(大正10)年、長野県松原湖の湖畔の村から大阪に出てきて新聞記者をしていた兼一郎社長の祖父の章氏が、現大阪市北区黒崎町でアサヒ薬局を創業。症状を丁寧に聴いて薬を処方し、薬代を払えない人は無料あるいは月賦可とするなど、患者の身になった商法で連鎖店を増やした。薬局チェーン化の草分けといわれる。第2次大戦中は軍需薬品メーカーとして従業員約2000人を抱え、社名をテイコク製薬社としたが、戦災で社屋や工場が焼失。戦後、残った薬局を基盤に店舗展開を再開し、65年、章氏を継いだ2代目・文雄社長が合資会社から株式会社とし、ドラグストア化を進めた。2021年に「創業100年史」を刊行する予定。