80年に私が全株式を買い取り、社長に就任したときの売上高は6、7億円で、10年後に100億円にするとの目標を掲げ、攻めの経営を展開してきましたので蓄えはありません。資金は開発部門に全部投入していました。キャッシュフローなんて言葉もなかったくらいです。
◆銀行も商社も頼れず
取引銀行は第一勧業銀行、大和銀行、三菱銀行、埼玉銀行、北海道拓殖銀行、横浜銀行の6行でした。銀行はミロク経理とミロク情報サービスに資本関係がなく、取引もないことは知っています。9、10月と予定通りに融通してくれていました。
ところが、11月に借り入れを予定していた銀行が貸せないと言ってきたのです。
「このくらいの危機を乗り切れなくて社長なんか務まるか」「独立してから、ついてきてくれた幹部や社員らを路頭に迷わすわけにはいかない」と自らを鼓舞したものの、連鎖倒産の4文字が頭によぎります。
わらをもつかむ思いで、業務提携していた大手商社に駆け込み、増資の引き受けを要請しました。私の持ち分比率は半分になっても良いと覚悟しました。ところが、その部長は「検討はするけれど、デューデリジェンス(資産価値や収益力などの経営・財務の調査分析)するから、決定まで3カ月はかかる」と、のんきな返事です。即決できないサラリーマンに頼んだ自分のふがいなさに、じだんだを踏む思いでした。
11月の資金繰りは何とか支払いを延ばしたりして乗り切ったものの、12月は社員にボーナスも払わないといけないし、手形決済もあります。経理担当は「社長、もう無理です」と悲鳴を上げるほど、進退窮まってしまいました。(ミロク情報サービス会長)