18歳の頃、妹たちと(右端)【拡大】
■大学時代も支えてくれた塾の先生
津田塾大学に入ると、さっそくクラブ活動のオリエンテーションがあって、新聞部に入りました。小学生時代の壁新聞、中学時代の学校新聞の延長です。津田塾の学生新聞の部活を通して、一橋大学や国際基督教大学(ICU)、東京経済大学、東京女子大などと一緒に活動する三多摩学生新聞連盟とつながり、いつの間にか優秀な他校生とのネットワークが広がっていきました。学生運動も盛んで、全国学生新聞連盟のみんなと一緒に砂川闘争にも参加しました。
◆バイト斡旋に感謝
当時、私は東京・荻窪にある伯父の家に下宿したものの、学費や生活費は自分で稼がなければなりません。そんな事情を知った一橋大の学生が、一橋大で社会心理学を教えていた南博教授を紹介してくれ、南先生の元でさまざまな調査を手伝うことになりました。アンケートリサーチです。アンケートを抱えて団地巡りなどをして、回答をいただき、集計して統計をとって報告するという仕事でした。
訪問しても、なかなか答えてくれないなか、三鷹のマンションで気楽に答えてくれた方がいました。産経新聞社の月刊誌「随筆サンケイ」の重村力編集長です。学生新聞の編集長をしていると伝えたら、「私も編集長だよ」といって話が弾み、これをご縁に後々、とてもお世話になるのですが、それはまたお話いたします。
大学時代も三重県桑名市の塾の西塚茂雄先生が、私が大学進学しても仕送りは一切ないことにも気遣って、夏休みや春休みにアテネ塾の講師や家庭教師のアルバイトを用意してくださいました。おかげで、授業料をまかなうだけでなく、妹たちのお小遣いまで稼ぐことができました。
◆就職に厳しい現実
あっという間の大学生活でしたが、いよいよ就職活動をする頃になって、またまた大きな壁にぶち当たりました。