1947年、お線香「毎日香」を譲ってくれた鬼頭天薫堂【拡大】
鬼頭勇治郎氏がじっと父を正面に見据え、こう言ったと、後から聞きました。
「小仲さん、あなた個人に毎日香を譲りたい」
大阪には孔官堂をはじめ、多くの有力な線香メーカーがあるにもかかわらずです。東京中心の父とはそんなに親しい間柄ではなかったはずですが、父の商売一筋の姿勢を評価されたのでしょう。この商標権は、しばらく父の個人所有でした。
◆芝居で経緯再現
なぜ、小学生の私を連れて行ったのか、父に聞くことはしませんでしたが、おそらく後継者育成の一つとして計画的に立ち会わせたのだろうと思います。
このときの経緯は、後にわが社の稲坂良弘氏が「夜明けの歌-毎日香物語」との芝居に仕立てました。主役の鬼頭氏の役は山口崇氏、勝呂誉氏や宮園順子氏らも出演しました。
親会社である大阪の孔官堂は「松竹梅」と「仙年香」という全国ブランドを持っていました。東京孔官堂は関東地方だけの安価な「蘭月」というブランドでしたが、ブランドの所有権は大阪の孔官堂が持ち、東京孔官堂は生産と販売をすることで生計を立てていました。そこに全国ブランドの「毎日香」という武器が手に入ったのです。大きな転換点となりました。
ただ、「毎日香」のヒットは、孔官堂のシェアを奪うことにもなります。毎日香がどんどん売れるに連れ、孔官堂と父の東京孔官堂との溝が次第に深まっていき、のちのち大きな騒動の火種となってしまうのです。