店では品評会で優勝した牛を振る舞い、京都から芸妓(げいぎ)数人を出張させてお客さまのもてなしをするなど店の人気は上々で、半年前から予約でいっぱいでした。父は話題作りがとてもうまく、猪突(ちょとつ)猛進型ですが、平身低頭、誰からも好かれる性格でした。
2階建ての本社は銀座中央通りから、裏側の道路まで一画あり、細長い造りでした。日本料理店に切り替えたとき、その細長い鉄板ぶきの平屋根に端から端までうなぎの絵を書かせました。道を歩く人は見えない。けれども向かいの8階建ての松屋や近所の高いビルからは良く見えるのです。うなぎの寝床で、うなぎが食べられますよ、というアピールを松屋などの来店客に見せていたのです。天才的なひらめきがありましたね。
◆両親ともに終電帰り
父は朝から午後2時ごろまでお線香の商売をして、それから「銀座らん月」を取り仕切っていました。母の三重子も朝、子供たちの弁当を作ってから、午後に「銀座らん月」に出勤して、閉店まで働いていました。
母の実家は兵庫県の城崎温泉で菓子店「みなとや」をしながら土産店も営んでいました。旅館でもてなすお茶菓子などを作っていましたから、母はお店で切り盛りしたり、お客さんをもてなしたりするのは、苦にならなかったのでしょう。もちろん、一日中動き回り、くたくたに疲れたと思います。