自転車に発電機用の補助エンジンを取り付けた“バタバタ”と呼ばれた簡易オートバイも、初のオートバイ「ドリーム号」も、軽トラック「T360」もスポーツカー「S500」もホンダは全て独力で開発した。「自分で作る」ことこそが宗一郎少年から脈々と引き継がれているホンダが誇る頑固で石頭の職人気質(かたぎ)DNAなのだろう。
もう一つのホンダDNAは「夢とロマンを実現する」である。夢とロマンを追いかけるではなく「実現する」である。航空機産業への参入は高い参入障壁がある。航空機事故は人命に直結するものであるから、航空機の安全基準は自動車とは比べものにならないほどの厳しさが要求される。製造工場も工員も下請けの部品工場でさえ、FAAが要求する品質基準をクリアすることが求められている。それゆえ世界を見回しても航空機産業への新規参入者はまれだ。
この高い参入障壁こそがホンダの狙いだったという。
なぜなら参入障壁が低い産業は競合も多く、レッドオーシャン(競争の激しい混乱市場)に陥りやすい。一方、参入障壁が高ければプレーヤー数も限られており、自動車産業に比べれば圧倒的にライバルも少ない。いったん、その高いバーさえクリアすれば、そこはブルーオーシャン(健全な利益を確保できる市場)で安定した経営ができる。そのためにホンダは30年間頑張った。株主からの圧力にも社内の批判にも耐えた。