旧大蔵省は戦後すぐ「信託主業化」の方針を掲げ、それまで信託業務を兼営していた4都市銀行と地方銀行から信託業務を分離する行政指導を行った。中心的に動いたのは当時の銀行局長の高橋俊英氏。この当局の指導に対し、地方銀行や3都市銀行は応諾し信託部門を分離したが、唯一、これに反対したのが大和銀行(現りそな銀行)の寺尾威夫頭取だった。両者の対立は国会問題にまで発展したが、このとき、寺尾氏が自ら執筆し、国会に提出したのが、信託兼営の論文であった。寺尾氏が最後まで引かなかったのは、「顧客のために信託を兼業する」の一点。そして、大和銀行は唯一、信託業務を兼業する都市銀行として残った。それは現在のりそな銀行にも継承されている。
金融庁がいう「フィデューシャリー・デューティー」とはまさにこのことであろう。
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【プロフィル】森岡英樹
もりおか・ひでき ジャーナリスト。早大卒。経済紙記者、米国のコンサルタント会社アドバイザー、埼玉県芸術文化振興財団常務理事を経て2004年に独立。59歳。福岡県出身。