【ホンダ 米国戦略の岐路】(上)拡大路線裏目…「世界6極体制」揺らぐ理念 (3/3ページ)


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  • ホンダが1982年に日系自動車メーカーで初めて乗用車の米国生産を始めたメアリズビル工場=10日、米オハイオ州(会田聡撮影)
  • ホンダが日系メーカーで初めて米国生産した「アコード」のラインオフ式で第1号車を披露し、挨拶する2代目社長の河島喜好=1982年11月1日、米オハイオ州メアリズビル(同社提供)

 このため16年9月中間期の四輪事業の売上高に占める営業利益率は6.4%にとどまり、10%前後を稼ぐ二輪、金融両事業に比べ業績の足かせになっている。

 ギャップを有効活用

 八郷は現地生産にこだわらず、北米で販売が好調な新型シビックの供給について、今年7月に英スウィンドン工場からの輸出を開始。日本からの輸出も検討し「生産(能力)と販売のギャップを有効活用する」として次善の策で収益向上を図る。

 八郷が「6極体制の進化」と語る見直しで、成果を残すことができるかどうか。創業から68年を経たホンダの新たな岐路になる。(敬称略)