しかし、いざ意気込んで開いたiモードの発表記者会見は散々なものだった。
「なぜたった7人なんでしょうか」
1998年11月に開かれた「iモード」の発表会見。東京・内幸町の旧電電公社ビルの「葵(あおい)記者クラブ」に現れた記者は6人。途中から1人が加わった。
「革新的なサービスを発表する」「新聞に大きく掲載される」-。コーラルピンクのスーツを新調して臨んだ松永真理(62)の落胆をよそに、記者は「革新的なサービス」ではなく、開発責任者の榎啓一(67)に通信技術について質問を続けた。
なぜ…、帰りの車の中で松永は榎に不満をぶつけた。67社からサービス提供を取り付けていた夏野も青ざめた。「これでうまくいかなかったら詐欺だ」
記者会見の準備に関わった原田由佳(52)は、当時のことを今もよく覚えている。10年間、NTTで働いていた原田は、「会見するなら記者は来ているだろう」と漠然と考えていた。PRの重要性も身にしみてはいなかった。「過去のやり方でいいと思っていた。苦い経験だった」