
60年以上前に発売された「シウマイ弁当」は、なぜいまも売れ続けているのか【拡大】
崎陽軒のシウマイはなぜ多くの人に愛されているのか。その秘密を探るために、同社で広報・マーケティングを担当している金田祐輔さんに話を聞いた。聞き手は、ITmedia ビジネスオンライン編集部の土肥義則。
駅弁を売るのに「横浜駅」は不利
土肥: 崎陽軒が創業したのは1908年(明治41年)。その年の出来事を調べてみると、移民に関する日米紳士協定が成立したり、ブラジルへの初の移民船が神戸から出航したり、フォードT型が発売したり。110年ほど前に、どんな商売を始めたのでしょうか?
金田: 横浜駅(現在のJR桜木町駅)構内に売店を開いて、そこで雑貨のほかに、寿司、餅、牛乳、サイダーなどを販売していました。
土肥: 当初、駅弁は売っていなかったのですか?
金田: はい。1915年(大正4年)に、現在の場所に横浜駅が移転したのに伴って、野並茂吉が支配人に就任しました(後に初代社長)。そのころはいわゆる“幕の内弁当”を販売していたのですが、焦りを感じていました。当時、小田原のカマボコ、静岡のワサビ漬など、大きな駅には名物となる食べ物がありましたが、横浜駅にはありませんでした。また、横浜駅の立地は不利だったんですよね。
土肥: どういうことですか? 横浜市の人口をみると、創業10年前の1898年は3万1000人に対し、1908年は2倍以上の7万8000人。10年後の1918年は9万人。以降も順調に伸びているのに、なぜ「横浜駅の立地は不利だった」のですか?
金田: 駅弁を売るのに不利な場所だったんですよね。東京発の乗客はまだお腹が空いていない。または東京駅で購入している。一方、東京に向かう乗客は駅弁を食べる時間がない。そんな状況の中で、どのようにすれば駅弁が売れるのか。そこで初代社長は、当時の南京町(現在の中華街)を歩いて、シウマイに目をつけました。列車の中で手軽に食べることができるのでうってつけの商品だったわけですが、冷えたシウマイはあまりおいしくありませんよね。駅弁で売り出すためには、冷めてもおいしいシウマイをつくる必要がありました。