サービス

だからフラガールの踊りは胸を打つ “東北のハワイ”が東京のプロを拒んだ理由 (4/5ページ)

 震災後、フラガール全員が集まった

 開業から45年後、平成23年の東日本大震災で「スパリゾートハワイアンズ」は施設に多大な損害を受け、休業を余儀なくされた。被災直後、当時の社長・斎藤一彦はある決断をする。

 「フラガールの全国キャラバンをやろうと思っている。休業中に日本全国を回って、フラガールと、いわき市の元気な姿を、一人でも多くの人に見てもらおう」

 震災当時に在籍していたフラガールは、総勢29人を数える。3月11日以降、ハワイアンズが休業となったため自宅待機を余儀なくされていた彼女たちの中には、自宅を津波で流されてしまったため家族と一緒に避難所に身を寄せていた者もいれば、原発事故で自宅が避難区域に指定されたため、福島県外で生活している者もいた。彼女たちもまた、紛れもなく被災者だったのだ。

 そんな彼女たちが震災後、初めて顔を合わせたのが4月18日のことだった。まもなく始まるキャラバンに備えて、22日から再開する合同練習を前に今後のことを話し合うため、常磐音楽舞踊学院のレッスン場に集まったのだ。

 当時、リーダーとしてメンバーをまとめていたマルヒア由佳理こと加藤由佳理がいう。

 「『練習を再開することになったから、来られたら来てね』と全員にメールで連絡を入れました。でも、メンバーはみんな、それぞれがいろいろな事情を抱えていましたから、来たくても来られない子もいるでしょうし、中には、本人は来たくても、ご両親が反対する場合もあるかもしれません。ですから正直なところ、半分の15人が来ればいいかなと思っていました」

 それはマルヒアだけではなかった。学院開設当初から今日まで、50年間一貫してフラガールの指導にあたっている学院最高顧問のカレイナニ早川(早川和子)も、自ら率先してキャラバンを提案した斎藤も、事情が事情だけに、(全員がそろうことはないだろう。取りあえずは集まったメンバーで、できることを精いっぱいやるしかない)と考えていたという。

 ところが、当日ふたを開けてみると、学院のレッスン場には誰一人欠けることなく29人のメンバーが全員集まり、再会を喜び合っていたのだ。練習が始まると、久しぶりに仲間と一緒に踊ったことに感激したのか、泣き出す子が何人もいた。

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus