【道標】「メディアは公共」 軽視する政府 放送人自身が積極的に将来像語れ


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 テレビ、ラジオ番組の政治的公平を求めた放送法4条を撤廃するなど、NHK以外の放送をなくし、通信に統合することを目指した政府の放送改革。議論の場である規制改革推進会議の答申に向けた論点整理は「電波の有効活用に向けた制度のあり方」を検討すると言うにとどまり、具体的な方針を示すことなくトーンダウンした。安倍内閣も「4条撤廃については政府として具体的な検討をしていない」との答弁書を閣議決定している。

 しかし、政府が考える放送法改正の方向性は、看過できない重要な問題をはらんでいる。それは今後の放送行政ばかりか市民社会にも少なからぬ影響を及ぼす可能性がある。いったい何が問題なのか、きちんと確認しておく必要があるだろう。

 第1に、政府が時の経済政策の一環として、放送法を好きに変えることができると考えているらしいことである。憲法が為政者の恣意(しい)的な権力行使ができないようにするための基本ルールであることは、よく知られているところだ。同様に放送法は、免許事業であるがゆえに国の介入が起きがちな放送の領域で、国を縛る法であるという性格を持つ。

 放送の自由を守るためのルールを定めているにもかかわらず、新規参入などで市場を活性化するために規制を外すというのは、一瞬聞こえは良いが、実は国が自由な裁量で通信・放送領域に口出しできることと裏表である。実際、放送法はビジネスとしての放送という観点から、決め事を次々増やす方向で改正を重ねている。

 一方、本来は放送局の自律を求めていた条文を、政府が違法行為を判断する基準として活用する事態が続いている。これらに共通するのは、放送法の精神を理解しないばかりか、その存在自体を軽視する姿勢であるといえるのではないか。

 第2に、政府が電波を「金のなる木」と捉えていて、電波を使った自由な商業活動を担保することで経済を活性化したり、電波割り当てへのオークション制導入などによって新たな税収のよすがにしたりすることばかりに注力しているように見えることだ。

 しかし、放送は「みんなのもの」であるという意識を忘れないことが大切だ。いわば公共概念であり、みんなに開かれていて、みんなのためになることが重要であろう。一般企業でも社会貢献が求められている時代、放送はまさにパブリックな存在であって、だからこそ日本では商業放送と言わずに「民間」放送と呼んでいるのではないか。経済一辺倒の議論は、放送が民主主義を支える社会的機能であるという大前提を崩壊させることにつながるだろう。

 NHKのみならず、民放も含めた公共的な放送が、豊かで自由闊達(かったつ)な情報流通を実現する言論公共空間を作り出すことが求められてきた。こうした役割は、分断化が進む今日の社会においてより重要になってきているとすら言える。だが残念ながら政府の姿勢からは公共的なメディアの未来像はまったく見えてこない。

 ならば放送人自身が、これを機に自らの将来像を積極的に視聴者に向けて語る必要があると思う。それも放送法が求めている放送人の責務の一つであろうし、私たち視聴者も公共の一端を担う者として、傍観者ではいられまい。

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【プロフィル】山田健太

 やまだ・けんた 1959年京都府生まれ。専門は言論法。著書に「放送法と権力」、共編著に「放送制度概論」など。