【道標】「4K8K衛星放送」普及へ気を抜けず テレビの在り方を議論する契機に


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 超高画質のテレビ「新4K8K衛星放送」が12月1日に始まる。現行ハイビジョンよりきめ細かく、臨場感あふれる4K8Kの番組が格段に身近になる。

 もっとも、対応する受像機やチューナーがそれほど普及していないことに加えて、全てのチャンネルを視聴するには、BSアンテナや配線の交換が必要だ。

 総務省は4K8K推進のロードマップを公開している。2020年の東京五輪では「数多くの中継が4K8Kで放送されている」ことを前提に、「各地におけるパブリックビューイング(大型スクリーンでの集団視聴)により、大会の感動が会場のみでなく全国で共有され、多くの視聴者が市販のテレビで4K8K番組を楽しんでいる」ことを目指すという。

 NHKは今年2月、平昌冬季五輪の際に4K8Kの試験放送を行い、全国でパブリックビューイングを実施した。今後もスポーツ中継に力を入れ、東京五輪に向け設備を充実させていくという。民放もスポーツの国際試合などで4K中継の実証実験に取り組んでいる。

 テレビの歴史を振り返ると、五輪やサッカー・ワールドカップをはじめとするスポーツイベントは、放送技術の革新と不可分に結び付いている。東京五輪に期待が寄せられるのも無理はない。

 日本でテレビ放送実用化の道が開かれたきっかけは、1940年の東京五輪開催が決まったことだった。国際情勢の悪化で開催は返上されたが、日本放送協会は39年、実験放送にこぎ着けた。

 太平洋戦争による中断を経て、53年に定時放送が始まると、人々はまず街頭テレビの熱狂を通じて、テレビとはいかなるものかを知った。人気を二分したのが、プロレスとプロ野球である。近年、4K8Kの魅力を知ってもらうために、スポーツ中継のパブリックビューイングが果たしてきた役割と重なり合う。

 そして59年の皇太子ご成婚パレード、64年の東京五輪が、受像機の購買を強く後押ししたとされる。五輪で初めてカラー放送や衛星中継が行われたのが東京大会だった。

 だが、こうしたイベントの影響が過度に評価され、テレビ普及の節目として強調され過ぎてきたと指摘する研究もある。

 50~60年代に、人々が安心して受像機を買い求めるには、街の電器店による試用貸しやアフターサービス、月賦制度など、地道な販売促進活動が欠かせなかった。また街頭テレビがない地域では、学校や集会所、飲食店などでの小規模な集団視聴が、決定的に重要な意味を持っていた。

 このような土壌があったからこそ、テレビは順調に普及したのであって、五輪だけが起爆剤になったわけではなかった。4K8Kも2020年に向けて楽観はできない。

 ただし、テレビ放送を支える技術基盤に視聴者の関心が向くのは、放送業界にとって地デジ化以来の好機であろう。いわゆる「テレビ離れ」は、番組の視聴時間が減少していることよりも、映像機器の多様化に伴って、かつてはお茶の間の主役だった受像機に対する意識が希薄化しているという面が大きいからだ。

 地上放送の4K8K化の見通しが不透明であることも踏まえると、新4K8K衛星放送の船出は、これからのテレビの在り方が広く議論される契機になってほしい。

                   

【プロフィル】飯田豊

 いいだ・ゆたか 立命館大准教授。1979年広島県生まれ。東京大大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。専門はメディア論。著書に『テレビが見世物だったころ』など。