【高論卓説】三陸の復刻木造和船「気仙丸」 存続危機、日本の技を残す制度必須 (1/2ページ)

 「気仙丸」という木造和船がある。26年前の三陸・海の博覧会の時に復刻した昔の千石船で、現在は岩手県大船渡市の港にある。千石船が日本の経済に大きく影響を与えたのは、江戸末期から明治中期にかけて、日本海側の各都市を交易でつないだ「北前船」である。北海道からニシンやコンブを積み、大坂からは古着や生活物資などを運んだ。もちろん江戸時代の経済の主力だった米も運んだ。列車や車の流通網がない時代に、日本経済を担っていた大動脈であった。

 そんな北前船に多く使われた船が弁才船といわれている日本の大型帆船だ。その造船技術は需要の縮小とともに消えてなくなったが、平成の世にかろうじて復活したのが、気仙丸を筆頭に白山丸、なにわ丸、みちのく丸と続く4隻の弁才船だ。その全ての和船復刻に携わったのが、大船渡市に住む船大工棟梁(とうりょう)の新沼留之進さん(88)だ。

 図面などの設計図もなく、神社・仏閣に残る絵馬などの少ない資料を基に、模型を作り、あの堂々とした和船を復刻させた。当初は1992年の三陸・海の博覧会に出品することを目的に建造した気仙丸は、博覧会でジャパン・エキスポ大賞の栄誉を得る。他の船もNHKの大河ドラマや映画、ドラマの撮影に使われ、その航行する雄姿が残っている。

 和船造船の特徴ある技術は、大きく3つあるという。第1に木を曲げる技術。木を蒸して米ぬかの油を使って6寸(約18センチ)の厚い板を曲げたという。第2に木をはいで水が漏れないようにする技術。第3には木の種類や部位の適材適所を見分けて、それを効果的な場所に使うノウハウ。これらの技術は大型和船の建造に必須で、その技術自体が、留之進さんの年齢とともに消えようとしている。

 宮大工は、式年遷宮や国宝の修復など技術伝承できるチャンスがあるが、船大工に至っては、それを残す必然性が経済的に希薄であるとの判断が働き、技術伝承の道が遠い。

 日本の優れた技術、特に職人技といわれる領域の技術は全て人についていく。そんな技術を残すには日本の職人の技を残し伝承するシステムが必要になる。経済と名誉が担保されるドイツにあるマイスター制度のようなものが必要で、日本の職人の技こそが世界で日本が優位に立てる領域であることを考えると、その整備は必須となる。

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