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「人を助けず、立ち去れ」が正解になる日本 「正しいこと」より「リスク回避」 (3/3ページ)

 多くの子供たちには「人間社会における倫理的判断の難しさと社会正義の複雑な構造を学ぶ機会」を提供できたかもしれない。しかし同時に、少数の子供やその親からは「子供たちへ不安やストレスをいたずらに与える加害者」という誹りを免れ得なくなった。この社会では多くの善なることを成したとしても、ひとつでも汚点があればそれらの功績は帳消しにされてしまう。「よかれと思って」などという動機はほとんど斟酌されない。

 レバーには触れるな。なにもせずその場から立ち去れ。当事者になるな。「無関係な人」になれ--それが紀元前から繰り返されてきた問題に対して、現代社会が用意した解答だ。

 この件--名付けるのであれば「岩国トロッコ問題」とでもいうべきだろうか--は、この社会でなぜ停滞が起き、技術的革新がことごとく反対・規制され、才能ある若者が続々と海外へと流出するのかをメタ的かつ端的に示した思考実験のようである。「少しでもケチがつくのであれば、チャレンジしてはならない」というメッセージが伝わってくる。

 「不安なもの」の排除は社会の停滞を招く

 「トロッコ問題」に限らず、多くの人びとにとって、新奇性や画期性のあるものは「気持ち悪い」ものである。不安感や不快感を惹起するものである。子供たちにとってはなおさらだ。それでもあえて、子供たちには未知なる問いを立てていく意義がある。しかしながら、教える側が「加害者」にされてしまうくらいであれば、現場レベルでは「毒にも薬にもならないこと」だけを淡々と伝えていくことのインセンティブが最大化されるだろう。

 一方で自分にとってなじみのないもの、異様に見えるものと接触したときに生じる生理的な不安感や不快感は、人間をひとつの動物として捉えたときには合理的な側面を持つ。個としては非力であり、集団生活を営まなければならなかった人間にとって、集団の同質性が維持されることには一定の合理性があった。人間の集団内における「異質性」とか「新奇性」を恐れ、排除することによって自分たちのグループの安定性が担保され、生存の可能性が高まると期待されたからだ。

 「トロッコのレバーに触れないことが推奨される社会」は、不安感や不快感を誘発しない快適なものばかりが目に入るし、身の危険を感じさせない穏やかな暮らしが続くだろう。生きていくにはおおよそ不自由のない社会かもしれない。だがそれは最新の知見や技術を拒否し、社会が停滞する可能性と表裏一体でもある。緩やかにだが着実に、社会から活力や創造性が失われていく。

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 御田寺 圭(みたてら・けい)

 文筆家・ラジオパーソナリティー

 会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』を2018年11月に刊行。Twitter:@terrakei07。「白饅頭note」はこちら。

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 (文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)(PRESIDENT Online)

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