またセキュリティーという観点でみれば、印影の再現は現在の3Dプリンターで簡単に同様のものを作ることができ、ハンコを持っていれば大丈夫ということではない。このため、銀行通帳の表紙裏側に押印されていた副印鑑が廃止されて久しい。本人確認のためには、指紋認証、顔認証など、より精度の高い方法も多々ある。
こう考えてくると、日本のハンコ文化、ハンコ社会は、制定された明治初期には、文字書きが不十分な人も多く、署名と印鑑の両方が必要であったかもしれない。しかし、もはや時代は変革を必要としているように思える。日本は何か大きな出来事がないと変わりにくいといわれる。近年は日本の生産性が低いともいわれている。今回の新型コロナ騒動をキッカケとして、行政や企業のマネジメント層は、これまで手を付けることができなかった分野に本格的にメスを入れていただくことを期待したい。
今後も印として残っていくのは、芸術分野ではないだろうか。例えば、中国でも同様であるが、書の作品で本文以外に左側に記載する落款(らっかん)がある。年月日、季節、作者等などが書かれ、その下に押印されている落款印(姓名印、雅号印)が代表例である。
【プロフィル】和田 憲一郎
わだ・けんいちろう 新潟大工卒。1989年三菱自動車入社。主に内装設計を担当し、2005年に新世代電気自動車「i-MiEV(アイ・ミーブ)」プロジェクトマネージャーなどを歴任。13年3月退社。その後、15年6月に日本電動化研究所を設立し、現職。著書に『成功する新商品開発プロジェクトのすすめ方』(同文舘出版)がある。62歳。福井県出身。