五輪柔道 異様な大ブーイング、銀メダル原沢久喜の妹「ちょっとうれしくて共感」
【リオデジャネイロ=天野健作】会場は異様な大ブーイングに包まれた。柔道100キロ超級で銀メダルに輝いた原沢久喜(ひさよし)(24)。「絶対王者」と呼ばれ、原沢に勝ったリネール(フランス)はまともに組もうとせず、ちょっぴり後味の悪い結末になった。
スタンドで観戦した原沢の母親、敏江さん(54)は銀が決まった瞬間、うんと軽くうなずいて笑顔を見せた。「相手が強くて、もっと早く負けると思っていたから。金メダルに値する闘いをしたのでは」
隣で観戦した妹の結衣さん(22)も「五輪まで来るのにいろんな努力をしてきて、最後は惜しかった。ブーイングにちょっとうれしくて、共感した」と目を潤ませた。
山口県下関市生まれ。女手一つで最重量の選手を育てた敏江さんは「私が育てたよりも周りの人が育ててくれた」。五輪が始まる前、「メダルの重圧に負けないように。油断大敵」とメールを送ると、原沢から「了解」と返ってきた。
遅咲きだった。小学校に入ってすぐ柔道を始めたもののなかなか結果が出ない。原沢が通っていた道場の顧問だった下関柔道協会の三宅寛会長(70)は「市内の大会でも負けていた。めげずに柔道を続けたことで花が開いたのだろう」と語る。
体は小さく、中学校まで無名の選手だった。高校に入り、1日5食にした。身長も伸び、体重は30キロ近く増え、90キロ級まで階級を上げた。日本大学入学前、敏江さんは「五輪ぐらいちゃんと目指すようにやりなさいよ」と送り出した。注目を浴びたのは、平成24年の講道館杯で優勝してからだ。25年の全日本選手権で決勝に進出し、一躍五輪候補に。
この日のスタンドでは「世界に輝け、下関の星」などと寄せ書きがいっぱいの日の丸が掲げられ、願い通りのスターになった。
「まだまだ未熟。常に努力しなければならない。日本の柔道を支えるぐらいの気持ちでやってほしい」。敏江さんは息子にさらなる成長を望んだ。
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