歳月の隔たりが互いの想いを熟成する 早野龍五さんと福島のつながり
早野龍五さんは物理学者(東京大学大学院理学系研究科教授)である。
何度も早野さんと交信し、何回かお会いするなかで、ぼくは思ったことがある。早野さんと接した人の中には、「自分の子供が科学者になってもらいたい」と願う人たちが少なくないのはないか、と。
その早野さんは、昨年の夏から幼児音楽教育の「スズキ・メソード」の会長でもある。そうすると、早野さんと接した人には、「自分の子供にはバイオリンの練習をさせておけば良かった」と後悔する人たちがいるに違いない。
人生後半戦を送っているぼく自身が、スズキ・メソードでバイオリンの演奏を習い、高校進学の時に科学者になる道を選択した早野さんに、今さらながらにして「早野さんの人生は、いいなあ」と思ったからだ。
「いいなあ」と思える早野さんの日常は、エネルギッシュな日々のはずだ。が、その早野さんが見ている風景は、とても淡々としている。
平常心を維持するのはかくも難しいのか、と思いながらぼくは毎日を過ごしているが、早野さんの見ている抑制のきいた風景に接すると、「叶わないなあ」とため息をつく。
ぼくが早野さんとお知り合いになったのは、2014年の12月だった。早野さんと糸井重里さんのお二人が出版された『知ろうとすること。』(新潮文庫)を読み、東北の食をイタリア国内でプロモートするプロジェクトにちょうど関わっていたぼくは、この本の内容をイタリアの人にもぜひ知ってもらいたい、と思い至った。
東日本大震災における福島の原発事故を踏まえ、極端なことを言い合わない多数の人たちが、極端な内容に振り回されないための考え方が綴られてあった。
そこでお付き合いのある糸井さんに、早野さんをご紹介願ったわけである。
その翌年の秋、ミラノ万博の会期中、早野さんと福島高校の生徒さん2人にミラノで講演をしていただいた。開催の経緯とその後にぼくがイタリアの関係者にインタビューした結果を、『イタリアで、福島は。』という連載で「ほぼ日」に書いた
実は、今、早野さんが今月末まで東京の西麻布で写真展を開催している。案内は以下だ。
《東京大学で物理を教え、ジュネーブのCERN研究所で「反物質」の研究をしている私は、写真を撮って「〇〇之圖」という題をつけ、それをツイートすることを、2011年から毎日欠かさず続けてきました。
この間、2011年3月に東日本大震災・原発事故が起き、私は福島に深く関わるようになり、また、昨年からは幼児の音楽教育「スズキ・メソード」の会長としての活動も加わりました。その間に、多くの方々と知り合えたことは、私の宝です。
2011年元旦から2016年大晦日までに撮った写真は、全部で2192枚。写真展開催にあたり、どのようにセレクトするかなど、迷いもあったのですが、結局、そのすべてを、2年分ずつ3回に分け、時系列で展示することに致しました。
美味しいビールなど召し上がりながら、ゆるゆると御見物下さい。》
「美味しいビールなどを召し上がりながら」とあるのは、場所がビールの店だから。店の見知らぬ常連客が早野さんにビールをご馳走してくれた思い出の場所である。
2011年4月24日、たまたま早野さんが店の前を歩いていたら店長に呼び止められ、「早野さんにビールをご馳走したいというお客さんがいます」と、一枚のコースターを渡された。
《早野先生へ
先生のツイートのおかげで、パニックを起こさず、東京で日常生活を送ることができました。ありがとうございます。応援しています。ファン有志より》
しかし早野さんは、2011年4月24日以前はもとより、その後もこの「ファン有志」に会ったことはなかった。
この3月1日、写真展のオープニングパーティで早野さんが、このエピソードを参加者の前で披露した直後、2人の女性が会場に現れた。「コースターに書いたのは私たちです」と名乗り、早野さんは初めて「ファン有志」と出会うことになる。
ぼくも、そのシーンに立ち会う幸運に恵まれた。
「ファン有志」も早野さんもお店の常連だったが、この6年間、一度も会うことはなかった。
何でもすぐ会えばよいというものでもない。ある歳月の隔たりがお互いの想いを熟成し、出会うべき時の出会いをより深いものにする。その妙は、淡々とした日常によってこそ可能なのかもしれない。
尚、3月15日、早野さんの最終講義が行われる。ライブ中継での聴講も可能だ。(安西洋之)
【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)
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