戦時中は学徒動員のため軍需工場で砲弾磨きに従事した。フランスの作家、バルザックの小説を持っていたのが将校に見つかり、殴打された記憶は今も心の傷として残る。「戦争の不条理、その暴力性が、私たちの世代の心と体にはしみついている」と話す。
毎日新聞大阪本社で新聞記者になったのは「正直いって、戦争が嫌だったから」と語っていたという。就職前に作家になろうと考えたのは一度もなく、小説を書くきっかけを作った人物が作家の井上靖さん(1907~91年)だった。
井上さんは、毎日新聞学芸部に勤務していたときの直属の上司だった。井上さんから「人は自分の身近なことを美化せず、真実を書けば、誰でも一編の小説が書ける」と助言されたのを機に、船場で昆布屋を営む浪速商人の人生を描いた処女作「暖簾」を7年がかりで仕上げた。
初期の頃は、船場などの大阪風俗に密着した世界を描いた作品が多い。吉本興業創業者の吉本せい(1889~1950年)をモデルにした「花のれん」で、直木賞を受賞した際、「禿げ山に木を一本、一本、植林していくような、いわば植林小説を書いていきたい」と抱負を述べた。