それだけに、白昼堂々、しかも買い物に来ただけの幼い姉弟が犠牲となった事件に、事態の推移を見守ってきた軍も旗幟(きし)を鮮明にする必要に迫られた。プラユット司令官は「(警察と協力し)事態を悪化させないよう犯人を必ず逮捕する」と述べ、デモ隊には交差点などの封鎖を解くよう求めた。
ただ、反政府デモ隊の誤算はこれが初めてではない。反政府運動が広がりを見せる中、デモ隊の中心を担う野党民主党は昨年12月、全下院議員が辞職し、他党にも総選挙のボイコットを提案した。ところが支持はほとんど得られず、事実上、同党だけが欠けた形で選挙戦は展開された。もう一つは、2月の投票日にプラユット司令官ら3軍のトップが投票所に姿を現し、投票に及んだことだ。反政府デモ隊としては、いずれもはしごを外された格好となった。
◆独特の権力構造
そして極めつけが、投票の10日後に憲法裁が下した選挙無効と与党タイ貢献党の解党を求める訴えの棄却判決だ。反タクシン派の牙城とされる憲法裁で、実体審理を経ての棄却判決はタイの政界に驚きを持って受け止められた。タクシン元首相が失脚した2006年当時は、憲法裁の違憲無効判決が軍事クーデターの呼び水となった。
憲法裁の判事は事実上、上院の指名によって選任される。一方、上院議員は約半数を憲法裁長官らが作る選出委員会が指名する。すなわち、選ぶ側と選ばれる側が相互に支え合う仕組みになっており、選挙に弱い反タクシン派の力の源泉とされてきた。今回の政治混乱は、このタイ独特の権力構造にタクシン派が手を加えようとしたことで起こった。上院の全議席を公選制に改める憲法改正案が国会で可決したことを受けてのものだ。