昨年から今年にかけて、宋彬彬は中国において再び時の人となった。文化大革命時代の言動に対する反省と謝罪を公にしたからである。
私は最近になって、宋彬彬の「謝罪の言葉」や友人の証言などを読んでみた。驚いたことに、宋要武に改名していなかったのである。
宋彬彬によると、毛沢東とのやりとりの後、光明日報の記者に手記を求められ、断ったにもかかわらず、勝手に「手記」が掲載され、しかも、宋要武に改名したことにされたという。以後、「宋要武」が暴力的な紅衛兵を象徴する存在として一人歩きするようになったのだった。
当時、宋彬彬が光明日報に抗議していたとしても、事態は変わらなかっただろう。
改革開放時代になって、宋彬彬の家族が調べたところ、手記は光明日報の見習い記者がでっち上げたものと判明したが、記者の具体的な名前などはわからなかったという。
手記が捏造(ねつぞう)であり、改名が虚偽だったことは確かだろう。私は半世紀近い時を経て、事実を知ったことになる。(敬称略)