俳優の菅原文太さん死去、81歳 「仁義なき戦い」「トラック野郎」…

2014.12.1 14:25

菅原文太さん(2010年7月撮影)

菅原文太さん(2010年7月撮影)【拡大】

  • 俳優・菅原文太さん(撮影日:1976年2月)
  • 「トラック野郎爆走一番星」長崎ロケ。菅原文太さん(左)とマドンナ役のあべ静江さん=長崎県の長崎港(1975年12月03日撮影)
  • 菅原文太さん(2012年11月、高橋朋彦撮影)

 「仁義なき戦い」シリーズなどのやくざ映画で一世を風靡(ふうび)した俳優の菅原文太(すがわら・ぶんた)さんが死去したことが1日、分かった。81歳だった。

 昭和8年、仙台市生まれ。早稲田大に入学したが中退後、ファッションモデルとして活躍した。31年、東宝「哀愁の街に霧が降る」の学生役で映画を初体験。33年に「白線秘密地帯」の端役で俳優として、本格的な映画デビューを果たした。

 42年、任侠(にんきょう)やくざ映画の全盛期にあった東映へ移籍し、その第1作が「網走番外地・吹雪の闘争」。その後、「現代やくざ」「関東テキヤ一家」シリーズの主役を務めるなど、“無鉄砲な与太者”という新しいスタイルの魅力をつくり上げた。

 48年の広島やくざ抗争の実態を描いた「仁義なき戦い」では、やくざの広能昌三を演じ、実録タッチの現代劇として大ヒット。東映は“実録路線”としてシリーズ化(全5作)し、翌49年からの「新仁義なき戦い」シリーズも3作続いた。その後も「トラック野郎」シリーズ(全10作)がヒットした。

 60年前後からは「青春の門」(56年)、「映画女優」(62年)などで重厚な脇役として印象深い演技も披露。テレビでは、NHK大河ドラマ「獅子の時代」(55年)などに主演。舞台も「K2」(58、59年)、「スティング」(平成2、3年)などに主演した。

 平成10年に東京から岐阜県清見村(現高山市)へ夫人とともに移住。俳優業だけではなく、農業問題や政治にも関心を示し、全国を飛び回っていた。21年には山梨県で農業を始め、当時、俳優業は「半分、引退した」と話していた。

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