同様の事件が起きたとき、必ずしも各国は身代金支払いを拒否していたわけではなかったともいわれるが、日本の場合、収監中のテロリストを釈放したこともあって、「テロも輸出するのか」と海外から批判された。
日本にとっては、それが長い間のトラウマになってきた。今回、身代金支払いを拒否したのは、テロに屈しないとの決意に加え、そういう背景もあったのではないか。
だからこそ、今でも一部の国が身代金を支払っているのではないかと聞くにつけ、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれ続けてきた日本が、割り切れなさを感じるのは、ごく自然なことだろう。
断っておくが、日本も身代金を払うべきだったと言っているのではない。むしろ、各国が毅然(きぜん)として立ち向かい、テロリストを利すことのないように足並みをそろえることを強く求めるべきだ。
より強制力を強めて身代金支払いを禁じる世界的な枠組みを改めて考えるなどというのも一法だ。しかし、「テロに屈しない」という強い決意を各国が持ちさえすれば、そんなものは一切必要ない。
問題は、苦渋を伴う重大な決断ができるかどうかだ。