タイで開かれた不法移民に対する特別会議で発言するミャンマー政府代表。ミャンマーはロヒンギャという民族名も認めていない=5月29日、バンコク(AP)【拡大】
しかし、何にも増して責任を問われるべきはミャンマー政府である。29日の国際会議にも当初は参加の意思を示さず、「これは人身売買問題であり、わが国に関係はない」という態度をとった。さすがにそれでは済まないことを認識して会議には参加したが、ロヒンギャという名称を参加国に使わせず、あくまでも「海上を漂流している難民はバングラデシュ人である」という主張を貫いた。
ミャンマー政府のこのような態度は、1970年代から一貫している。独立後の一時期はロヒンギャの存在を認めた時期もあるが、ここ40年以上は「不法移民」という認識を貫いている。土着の民族リストに加えることなく、国籍も付与していない。
2012年に発生したラカイン人仏教徒によるロヒンギャ襲撃事件のあとは「保護」を名目にラカイン州北部シットウェーの町はずれにゲットーのような隔離空間をつくり、そこに多くのロヒンギャを閉じ込め、出入りを厳しく管理している。このほかのロヒンギャについても、ラカイン州西北部から外への移動を禁じている。
こうした政府の対応を国内世論も強く支持している。難民を生み出す原因はまさにここにあり、この闇を解決しない限り、問題は解消に向かわない。
◆複雑な移民の歴史
では、ロヒンギャとはいったい何者で、どのような歴史を有しているのか。そこには数々の謎がある。ロヒンギャという民族名称自体は、文献上1950年までしか遡(さかのぼ)れない。48年に独立した直後のミャンマーは、多くの地域で混乱を抱え、当時の東パキスタン(現バングラデシュ)と国境を接するラカイン州西北部はその最たる空間だった。流入するベンガル人ムスリム(イスラム教徒)とラカイン民族の仏教徒が対立し、治安は大いに乱れた。そのような中でロヒンギャを名乗る集団が登場した。