常務委員にはなれなかったが、全人代常務委員長に就任した万里は、天安門事件の3週間前、予定通り、米国、カナダ訪問に出かけた。外遊前に趙紫陽と会った万里は、学生らの民主化運動への対応に関し、柔軟な対話策をとることで一致していた。
だが、外遊中に趙紫陽が失脚した。事件の10日前に帰国した万里は、戒厳体制を支持する書面談話を発表した。談話の原文は李鵬が準備したものだったという。
喬石も万里もその政治的立場は、李鵬よりは趙紫陽にはるかに近かった。だが、本心はともあれ、結局はトウ小平に反旗を翻すことはしなかった。2人の出処進退をみるとき、トウ小平に反対した趙紫陽の決断の重みがいっそうわかるのである。(敬称略)