それに加えて高速増殖炉研究は、初期段階において原研が手がけていたという歴史がある。しかし、1960年代の初めに原研での組合運動が激しくなったため、国が67年に発足させた動燃に研究開発の主体が移されたという過去がある。
資源貧国の日本にとってウラン燃料の有効利用を可能にする高速増殖炉は、輝く期待の星だったのだ。
こうした経緯で原研と動燃の関係は難しくなり、2005年の原子力機構への2組織統合(その時点で動燃は核燃料サイクル開発機構の名称)後も、原研出身者の間にはもんじゅをはじめ、動燃の事業を嫌悪する傾向があるといわれているほどである。
規制委がもんじゅを追い込む姿には、鬼気迫るものがある。13年には設備点検手続きの不備などで、事実上のもんじゅ運転禁止命令を出し、それを受けて当時の原子力機構の鈴木篤之理事長が辞任している。
そして今回の事態である。もんじゅでの保安規定違反が重なるのは突如、作成を迫られて作った、もんじゅ保全計画自体に欠陥が多いためであるという。
本来なら計画の方を見直すべきなのに、それがなされないために、違反が続発する側面もあるらしい。
研究開発組織の関係はねじれ、保全計画ももつれているのだから、もんじゅは出口のないカオスの極みの中にある。