病気、汚職…落ち武者のタタリ? 信長由来の「墓域」再開発で市と住民が対立 (2/7ページ)

2016.3.6 07:11

織田信長と戦った本願寺派の武者が眠ると伝承される「落武者の墓」。一帯は土地区画整理事業で宅地化される計画だ=三重県桑名市

織田信長と戦った本願寺派の武者が眠ると伝承される「落武者の墓」。一帯は土地区画整理事業で宅地化される計画だ=三重県桑名市【拡大】

  • 再開発地域に残る「落ち武者の墓」(左手前)。その向こうに見える矢田城があった丘陵は、織田信長が願証寺を攻略した際の戦略的要衝で、本願寺派門徒との激戦の地となった=三重県桑名市
  • 織田信長の軍勢から桑名の地を守ろうと戦った武者が眠ると伝承される「落ち武者の墓」(中央)。一帯は区画整理事業で宅地化される計画となっている=三重県桑名市

 墓の目の前には本願寺派の要塞となった矢田城跡の丘陵があり、周辺には大字「本願寺」や、墓域を示す小字「大塚」などの地名も残る。

 『長島町誌』によると、永禄10(1567)年、信長は兵3万を率いて桑名一帯を焼き払い、矢田城もいったん落城した。しかし天正元(1573)年、石山本願寺と並ぶ反信長の一大拠点だった願証寺(がんしょうじ)の攻防で前線基地となった矢田城周辺は再び激戦地に。信長配下の羽柴秀吉(豊臣秀吉)や柴田勝家らの総攻撃で、矢田城は信長家臣の滝川一益が城主となり、翌年、願証寺も降伏した。

 信長の一代記『信長公記(しんちょうこうき)』には、願証寺に立てこもった本願寺派門徒2万人を焼き殺したとある。

宅地化される墓域

 こうした戦国史の舞台を今に伝える「落ち武者の墓」は、市が平成13年に計画した桑名駅西土地区画整理事業の区域(26・6ヘクタール)内にある。幅が狭い昔ながらの道路を広げ、都市型の住宅地に整備する事業で、数年前までに全区域の1割が先行建設街区として造成、宅地化された。

この先行区域内には5~6基の墓域があったため、地元住民でつくる…

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。