海底では土砂が未固結のまま堆積するので、緩斜面でも重力不安定となって地滑りが起こる。また一度発生すると数十キロから数百キロもの距離を延々と走ることが知られている。米国ハワイ州オアフ島北東沖に広がる地滑り跡は、総面積は2万3000平方キロに達し、四国のそれ(1万8300平方キロ)を超えている。このときの津波は、はるか太平洋を越えて北米西海岸に達し、その波高は10メートルを超えたと考えられている。同様の大規模な地滑り跡が、ノルウェー沖や北米東海岸のノーフォーク沖、インドネシアのジャワ島南方の海溝、大西洋カナリー諸島周辺に発見されている。
同様の災害は日本でも江戸時代の1792年に起こった。「島原大変肥後迷惑」である。前年から続いた普賢岳の噴火で、眉山の南側部分が地滑りをはじめ大量の土砂が有明海になだれ込んだ。その結果、島原側で6~9メートル、対岸の肥後側で4~5メートルの津波が襲い、甚大な災害を引き起こした。これは、陸上で起こった地滑りが海中まで続いた例であるが、その津波発生メカニズムについては同じと考えてよい。
熊野灘沖は、西南日本太平洋沿岸において、近い将来発生する可能性が最も高い東南海地震の震源域である。濃尾三川(木曽川・揖斐川・長良川)起源の伊勢湾からの土砂と日本一の雨量を誇る紀伊山脈からの土砂が、熊野灘海盆に堆積して東南縁の急斜面付近(南海トラフ陸側斜面)で重力不安定場を形成し、海底地滑りがいつ起こってもおかしくない状況にある。実際、海底調査において、大規模な地滑り跡が発見されている。この地滑りがいつ起きたのかは不明だが、三重、濃尾、東海地方に大きな津波災害をもたらした1944年の昭和東南海地震の津波にも寄与した可能性もある。