
衣笠祥雄選手引退試合、現役時代そのままの空振りにファンは大喜び(昭和63年3月24日)【拡大】
体がバッターボックスの中でよろける。ときには片膝をつくほどに。なぜ、そこまで力いっぱいバットを振る必要があるんだろう-と子供ながらに不思議に思っていた。
1970~80年代の広島の野球少年にとって、「3」と「8」は別格の数字だった。プロ野球界に「赤ヘル旋風」を巻き起こしたカープの中軸打者の衣笠氏とチームメートの山本浩二氏の背番号だからだ。だが、2人の打撃スタイルはまったく異なっていた。「ミスター赤ヘル」と呼ばれた山本氏は本塁打王に4度輝くなど、コンスタントに記録を残す選手。一方の衣笠氏は打者三部門では打点王のタイトルを一度取ったことがあるが、それよりも三振が多く、常にフルスイングしていた姿が思い浮かぶ。
衣笠氏といえば、代名詞である「鉄人」の根拠となっているプロ野球記録の2215試合連続出場が有名だが、セ・リーグ歴代最多の161個の死球も被っている。強くバットを振る分、体に近いボールをよけにくかった面もあると思う。
1979年の巨人戦で肩甲骨を骨折した以外にも、何度も死球禍に見舞われた。それでも「野球という職業を選んだ以上、試合に出場するというのは、僕にとって一番幸せなこと」とこだわり続けた。その胸の内は、“後輩”である金本知憲(ともあき)氏(現阪神監督)の連続フルイニング出場が途絶えたときに贈ったコメントに凝縮されている。