
再建工事に入る前の仁王門。解体に伴う調査で宝永3(1706)年に完成したことが判明した=三重県多気町丹生の丹生山神宮寺【拡大】
神宮寺では仁王門のほか、本堂、大師堂、護摩堂、客殿が町文化財に指定され、研究者や行政の文化財担当者らは解体で得られた知見を基に、文化的価値の見直しを始めている。
地元の丹生大師奉賛会会長、川原平生(ひらお)さん(71)は「先祖がまつられている寺社の復興は地元の悲願だが、300軒ほどに減った小さな集落ではできない。私財をなげうってこられた西村さんの篤行は、彦左衛門のDNAがなせる技としか思えない。子孫たちも末永く恩恵を享受できることがうれしい」などと話している。(川西健士郎)
【用語解説】丹生山神宮寺 「丹生大師」の通称で親しまれる。正式名称は「女人高野(にょにんこうや)丹生山神宮寺成就院」。縁起によると、空海の師匠、勤操(ごんそう)大徳によって開山され、弘仁4(813)年に伊勢神宮参拝途中の空海が七堂伽藍(しちどうがらん)を整備した。近くにある水銀鉱床は縄文時代から採掘され、中世には全国から商人や鉱夫が集まり、「丹生千軒」と呼ばれる繁栄をみせたとされる。現在残る神宮寺の伽藍の多くは、江戸時代前~中期に建造され、隆盛の名残を伝えている。