大阪の篤志家2億7千万円投じ郷土・三重の寺復興、7代前の先祖も用水築く (4/4ページ)

再建工事に入る前の仁王門。解体に伴う調査で宝永3(1706)年に完成したことが判明した=三重県多気町丹生の丹生山神宮寺
再建工事に入る前の仁王門。解体に伴う調査で宝永3(1706)年に完成したことが判明した=三重県多気町丹生の丹生山神宮寺【拡大】

  • 生まれ育った三重県多気町丹生の寺社修復に私財を投じ続けてきた西村彦蔵さん=大阪市平野区
  • 「立梅用水」建設事業の中心となった西村彦左衛門の肖像画(西村家所蔵)

 神宮寺では仁王門のほか、本堂、大師堂、護摩堂、客殿が町文化財に指定され、研究者や行政の文化財担当者らは解体で得られた知見を基に、文化的価値の見直しを始めている。

 地元の丹生大師奉賛会会長、川原平生(ひらお)さん(71)は「先祖がまつられている寺社の復興は地元の悲願だが、300軒ほどに減った小さな集落ではできない。私財をなげうってこられた西村さんの篤行は、彦左衛門のDNAがなせる技としか思えない。子孫たちも末永く恩恵を享受できることがうれしい」などと話している。(川西健士郎)

【用語解説】丹生山神宮寺 「丹生大師」の通称で親しまれる。正式名称は「女人高野(にょにんこうや)丹生山神宮寺成就院」。縁起によると、空海の師匠、勤操(ごんそう)大徳によって開山され、弘仁4(813)年に伊勢神宮参拝途中の空海が七堂伽藍(しちどうがらん)を整備した。近くにある水銀鉱床は縄文時代から採掘され、中世には全国から商人や鉱夫が集まり、「丹生千軒」と呼ばれる繁栄をみせたとされる。現在残る神宮寺の伽藍の多くは、江戸時代前~中期に建造され、隆盛の名残を伝えている。