八田與一(はった・よいち)氏は、土木水利関係者なら誰もが知っている人物である。東京帝国大(現・東大)工学部を1910年に卒業し、日本の統治下にあった台湾に渡り、衛生事業、上下水道の整備、発電・灌漑(かんがい)事業を推進した。特に力を入れたのが、20年から10年間かけて完成させた、台湾南西部の「烏山頭(うさんとう)ダム」と嘉南平野の灌漑用水路である。100年の時を超えて台湾の人々に愛される八田與一氏を紹介したい。
アジア最大ダム建設
「八田與一没後76年記念慰霊祭」が、命日(5月8日)に合わせて烏山頭ダムで執り行われた。昨年は、八田氏の銅像の頭部が切断されるという不幸な出来事があったが、台湾の関係者の懸命な努力で修復し、命日に間に合った。今回は厳重な警備が行われた。
約300人の参列者を代表し、頼清徳・行政院長(首相に相当)が献花を行った。あいさつの中で頼院長は「1930年に完成したアジア最大の烏山頭ダムにより、雲林、嘉義、台南地区の水田灌漑が整備され、米の生産量が大幅に引き上げられた。農業従事者に大きな恩恵をもたらし、台湾の経済発展を助けた。台南市では昨年末から雨量が少ないが、この烏山頭ダムのおかげで水田への灌漑や民生の水不足などの問題が解決されている。台湾の人々は70年以上にわたり、心から八田氏の貢献に感謝している」と語った。