このような病理的な自己愛を持っている人は、自分も他人も愛せないし、信用もできない。勇一郎被告は妻であるなぎさ被告に仕事を辞めさせ、携帯電話をチェックして交流関係を絶たせたりしながら、精神的な束縛と暴力で支配していた。
妻は、社会とのつながりを遮断され、自由を奪われ暴力をふるわれているうちに、自己肯定感が低くなり冷静な判断ができなくなっていったのだろう。その上さらに、支配者である夫の機嫌をとるために、共通の標的である心愛さんの虐待に同調していたという可能性もある。
心愛さんは、健康に生きる力と称される「首尾一貫感覚」を奪われていたのではないか。首尾一貫感覚は3つの感覚から成るが、その一つに、何となるという「処理可能感」がある。これは自分に降りかかるストレスや困難に資源(相談できる人やお金、権力、地位、知力など)を使って対処できるという感覚を指す。心愛さんは勇気を振り絞って、彼女の資源である母親や祖父母(勇一郎被告の父母)、学校にSOSを出したが、ほぼ全てに無責任な対応をされ、援助されるどころか虐待が助長されてしまった。