日本文化にみられる心理的な歪み TVドラマに抱く違和感
日本のTVドラマを見ていて不思議に思うことがよくある。
かなり気取った友人との集まりでも、ソファの下に座って低いテーブルに料理を並べている風景だ。雑談しながら赤ワインをグラスで飲む。
画面を眺めながら「あっちのダイニングのテーブル使えばいいじゃない」とぼくは思う。
東京周辺の平均的な家庭に応接セット(2つの1人掛けソファ+3人掛けソファ+テーブル)が普及したのは1960~70年代と記憶しているが、最初の頃、応接セットは「応接間」と呼ばれる空間に置かれていることが多かった。客人を迎えるスペースであり、紅茶やケーキをつまむ程度の場であった。
少なくても食事をする場ではなかった。
それがいつの頃からか分からないが、喫茶店の低いテーブルで食事をする習慣が家庭内に持ち込まれたのか、ソファに座りながらの食習慣が普及しはじめた。TVを見ながらファーストフードを食べる以上の「まともな」料理においても。
当初、決してオシャレな風景ではなかったはずだ。が、現在、仲間とワインを飲みながらカジュアルに付き合うシンボルとして、ソファに座るのではなくソファの下に座って楽しむシーンがTVドラマで多用されている。
これは相当にいびつな生活様式ではないか。
欧州のこの何十年かの生活変化をみても、テーマはカジュアル化である。ソファの位置はより低くなり、フットレスト付きも増えている。カーペットに直接座ることもある。
が、カーペットに直に座り、「気取って赤ワインを飲む」というシーンは乏しい。その場合は1人で缶ビールを飲みながらビデオをみる、というシーンに代表されると思う。
ぼくがTVドラマをみていて分からないのは、ソファの下に座ることがトレンディと表現される節がある、という点だ。
日本は畳に座る習慣があるから、畳でなくても床に座るに躊躇がないのは容易に想像がつく。一方、マンションで独身用の住居では和室が少なく、フローリングで和洋の両方のスタイルをカバーする、という傾向もある。
それならソファを取りはらって低いテーブルだけの空間にすればよいものを。あるいはコタツでももってくればいいのに、とも言いたくなる。
TVドラマでのソファは、恋人がふっと寝落ちする場である。あるいはぐったりと疲れた時に、もの思いに耽るところだ。それだったら、もうちょっと横になりやすいソファが工夫されてよいはずである。
ソファはそれなりのスペースを占めるにも関わらず、存在感ほどには活用されていない。せいぜい床に座った時の背もたれではないか。が、撤去はされない。
とても奇妙なモノである。
ソファは何かの象徴としか考えられない。赤ワインと繋がるイメージからすれば、既に日本で喪失したと言われる西洋文化様式への「捨てきれぬ気持ち」としか言いようがないのではあるまいか。
欧州のラグジュアリーブランドを語るのはダサく、殊にファッションにおいてその傾向ははっきりとしている、と言われる。日本の同市場が成長しているのは中国人観光客によって押し上げられたとの分析が主流だ。
欧州に旅行に来る日本人観光客のお金の使い方は、かつてはブランド品購入が中心であったが、今はレストランなどで食事をするための費用がトップにきている、とのデータがある。
一方で日本の伝統的文化の再評価が高まり、歌舞伎から旅館に至るまで人気がある。陶芸品へ目を向ける人も多くなっている。
そういう状況のなかでのソファと赤ワインである。
もちろんTVドラマが今の若い人のライフスタイルを全て映しとっているわけではない。ドラマ制作者たちの狭い世界から出てきた常識である。だから、これを拡大鏡でみて語るのは適当ではないかもしれない。
それが承知したうえで、ぼく自身が抱く違和感をやはり語らずにはいられない。日本の文化のなかにある、ある心理的な歪みがあるのではないか、と。(安西洋之)
【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)
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