新型ヤリスの試乗会で、興味深いシートの紹介を受けた。その名は「ターンチルトシート」。いわば身体に障害のある方の乗降をサポートするシートである。だが、ここでわざわざ取り上げた理由はそこではない。障害者をサポートするだけではなく、健常者への使用を提案したのが特徴なのである。
シートそのものが、乗員を迎えるかのように回転する。コクピットの中に潜り込むような不自然な姿勢が強いられることはない。
このシートがこれまでのウェルキャブ仕様(トヨタの福祉車両)と異なるのは、実は些細なことだ。誤解を承知でいえば、画期的な技術が投入されているわけではない。ハッとするほどの先進技術の成果ではない。だが、細部には心憎いばかりの配慮が行き届いている。
大切なのは「福祉車両としてではなく、型式認定を取得したオプション扱い」である点なのだ。新型ヤリスでは、運転席だけでなく助手席にも対応している。
レバーを引くと、シートが45度ほど回転して外部にせり出す。そこに腰掛ければ、内蔵したバネの力でスムーズにコクピットの中に導かれる。シートの前後スライドも可能だ。降車時も同様に、回転することで外部にせり出される。
実際に体験すると、乗降のしやすさは明らかだ。通常のシートでは、腰を45度ほど曲げて、あるいはドアやハンドルに手を掛けて支えるようにして乗り降りしなければならない。これなら、事務机の席から立つように、力を抜いてでも立ったり腰掛けたりできるのである。
開発担当者の中川茂氏は、熱く語る。
「日本の高齢者率は、世界でも突出しています。現在は28%。2050年には40%近くなります。そのための対策が必要なのです」
高齢者とは65才以上の事を指す。さらに問題があると言う。
筑波大学の市川政雄教授の発表によると、「要介護リスク」は、運転するかしないかで影響があるという。運転を継続しているユーザーのリスクを1とすれば、運転を中止して移動手段を失うと、要介護者になる確率が2.2倍に高まるというのだ。
ネーミングに抵抗感
つまり、運転という移動手段を失う。すると外出が減り、足腰が弱くなる。自宅で塞ぎ込むことが増える。要介護リスクが増す…というわけである。
だというのに、福祉車両の普及率は低い。足腰の不自由な障害者で1割。足腰の不自由な高齢者では0.1割だというのだ。日本の社会は要介護リスクが高いのである。
それが型式認定を取得した意義である。福祉車両というネームミングが、ユーザーの抵抗感を生む。それを取り除くことで普及をうながしたいというわけだ。
ちなみに、足腰が不自由なユーザーだけではなく、たとえばスカートを履いた女性にも、乗降のしやすさがメリットになると思う。もっといえば、着物でのドライブでも、ありがたい装備である。
「たとえばレクサスLCといったスポーツカーなどではいかがでしょう」-。そう提案したら、予期せぬ提案に困惑した表情になったが、僕の発想はあながち間違っていないのだろうと確信した。
着座点の低いスポーツカーでこそ、スマートにのりたいものだ。機構的に成立するかはともかく、「あり」だとは思った次第である。「ターンチルトシート」はヤリスの「良心」である。
【クルマ三昧】はレーシングドライバーで自動車評論家の木下隆之さんが、最新のクルマ情報からモータースポーツまでクルマと社会を幅広く考察し、紹介する連載コラムです。更新は原則隔週金曜日。アーカイブはこちら。木下さんがSankeiBizで好評連載中のコラム【試乗スケッチ】はこちらからどうぞ。