アマゾンでポチる感覚
テスラからようやく納車の案内が届いた。待ちに待った…と言っていいだろう。だって僕がテスラ・モデル3の先行予約をしたのは数年前のことになる。2年前だったか3年前だったか…。つまり、数百万円もする一台の車を購入するというのに、その日がいつだったか思い出せないほど昔に予約を入れていたのだ。
予約の日を忘れてしまったのにはもうひとつ理由がある。先行予約はテスラの申込サイト経由であり、あっけないものだった。セールスマンと面を合わせて契約書に押印したわけでも、分厚い書類を取り交わしたわけでもない。氏名やアドレスをサラサラっとうながされるに従って書き込み、まるでアマゾンでポチッとするかのように「ENTER」を押しただけなのである。
先行予約金の15万円はカード決済である。文房具や書籍を買うような気安さだったことが、大切なテスラ先行予約記念日を忘れてしまった理由のひとつだろう。
あまりの淡白さに驚き
実はそのさらりとした対応は、今日まで続いた。予約したはいいものの、どこからも案内が届かないのだ。数百万円もするクルマを購入するのだから、販売店の担当者が菓子折りでも手にやってくるのだと身構えていたし、それを数年も待たせるのだから、客の気が変わらないようにあの手この手で時間稼ぎをするのだろうとも期待していたが、音信はまったくなかった。対応の淡泊さに驚くばかりである。アメリカ企業だからと期待していたクリスマスカードすら届かないのである。
「せっかく手紙をいただいたのなら必ず返信するように…」
戦前生まれの母からそう厳しく躾けられてきたから、メールには間を開けず返信する癖がついている。既読スルーには敏感である。だというのに、クルマ購入スルーの仕打ちに良く耐えたと我ながら思う。
「詐偽にでもあったか…」。この業界のつてを頼って確認を急いだ。「確かに予約されてますね…」。少なくとも詐欺師に騙されたのではないことを確認してほっと胸をなでおろしたのが数年前…という淡泊さである。
そもそも、先行予約した数年前には、販売価格も決まっていなかった。というよりもさらに、クルマの性能もサイズも案内がなかった。鬼才イーロン・マスクがモデル3の生産を開始するとのアナウンスがネット上を駆けめぐったが実態は薄っすらとした影でしかなく、霞の彼方で走っているだけだったのだ。
たびかさなるテスト中の事故が報道されたり、生産が極端に遅れているとの発表があったり、あるいは、まずはアメリカから販売を開始し、日本へのデリバリーはいつになるか予想できないとさえ伝えられていた。それでもなんの音沙汰もなく待たされたのである。
EVは「走るスマホ」
ある日なんとなくスマホを眺めていると、モデル3が納車された様子をアップした記事が目に飛び込んできた。
「えっ、日本デリバリー開始したの?」
いやはや、ようやく日本での供給が始まったというのに先行予約した客をここまでフリーにできる自動車メーカーも稀有である。怒りを通り越して、呆れ返ったというのが正直な感想である。
ともあれ、これこそがイーロンが首謀するテスラの販売手法であると思うとそれも納得する。EVをクルマとしてではなく「走るスマホ」と認識しているイーロンは、輸入代理店をも不必要だと公言する。そこにはコストが発生する。ショールームは直営店であり、セールスではなく納車等の手配をするセクションとして割り切っているようである。
なるほど一利ある。EVを走るスマホだとする考えを聞けば、淡白な販売手法も新時代的なのだろうと思う。革命である。それが日本で通用するかどうかを見守りたい…。
【クルマ三昧】はレーシングドライバーで自動車評論家の木下隆之さんが、最新のクルマ情報からモータースポーツまでクルマと社会を幅広く考察し、紹介する連載コラムです。更新は原則隔週金曜日。アーカイブはこちら。木下さんがSankeiBizで好評連載中のコラム【試乗スケッチ】はこちらからどうぞ。