ドイツ車を鍛える2つの「道」
「道がクルマを鍛える」とは多くの偉人が口にした言葉である。その意味を尊重するのなら、ドイツ車の操縦安定性が優れていると高く評価されているのは、国土に2つの個性的な道があるからなのだろうという結論に達する。ドイツには、速度無制限区間が存在するアウトバーンがあり、世界一苛酷なニュルブルクリンクがある。その2つの「道」がドイツ車の走行性能を鍛え上げていることに疑いはない。
野山を切り開いて造成して完成したニュルブルクリンク北コースは、1周20.8kmもある。コース幅は狭く路面は荒れている。アップダウンは激しい。高低差は300メートル。「カー・ブレイク・コース」との異名を取る。完成度の甘いクルマでは、操縦性の云云以前に、マシンが故障してまともに走行ができないことからそう命名されているのだ。こんな過激なコースで鍛えられているから、ドイツ車の耐久性が秀でており、操縦安定性が認められているのである。
ニュルブルクリンクは、量産車タイムアタックの聖地とも言われている。1周20.8kmのコースは過激であるからつまり、このコースでのラップタイムがクルマとしての完成度の証明書になる。公式に記録されるものではないのに、いつしかメーカーが自慢のクルマを走らせ、タイムを計測し、優れた記録が得られればそれを公開するようになった。けっしてレーシングマシンではない。公道を走ることの許された量産モデルでのタイムアタック合戦である。
かつては僕も、各メーカーの依頼を受けて、ニュルブルクリンクのタイムアタックに挑んだことがある。その時に記録したスカイラインGT-RやインプレッサWRX STIでのタイムは、カタログに記載されたほどである。それほどまでにメーカーはニュルブルクリンクでのタイムに重きを置いているのだ。
実はいま、FF駆動方式モデルでの世界最速争いがヒートアップしている。ガチガチのライバル関係にあるのは、日本の雄である「ホンダ・シビック・タイプR」とフランスの刺客「ルノー・メガーヌR.S.トロフィーR」だ。
なりふり構わぬタイムアタック仕様
昨年、メガーヌR.S.トロフィーRが「7分40秒100」と言う途轍もないタイムを記録して世界を震撼させた。そのタイムは大排気量ミッドシップモデルでも簡単に到達することのできない数字だったから、世界が腰を抜かしかけた。だが世界が震撼した理由はそれだけではない。なんとメガーヌR.S.トロフィーRは、なりふり構わぬタイムアタック仕様を開発してしまったのである。
メガーヌR.S.トロフィーRは、徹底した軽量化に挑んでいた。基本的には5ドアハッチバックの街中をチョロチョロと移動するのが似合うコンパクトモデルである。だが、それをベースに、300馬力を炸裂する1.8リッターターボを積んだだけでは収まらず、5ドアモデルなのにリアシートを取り外してしまった。法規上2名乗車にしてしまったのだ。後席に人を乗せないならば、リアウインドーは開閉不可だ。薄板ガラスで軽量化をさせた。だとなればクルクルと回すウインドーレギュレーターも不要だ。リアワイパーもない。
その代わり、ホイールとブレーキはカーボンになり、ボンネットもカーボンだ。速く走るためには、たとえ大衆車としての機能を犠牲にしてまでも多くのパーツを取り外しつつ、高価な軽量マテリアルを贅沢に使っている。それもこれも世界最速タイム樹立のためだけなのである。結果的に949万円になってしまった。ベースのメガーヌが274万円だから、価格は約3.5倍である。
ニュルブルクリンクでのタイムアタック合戦は公式イベント競技ではないから、統一レギュレーションがない。細部では曖昧な部分も少なくない。だが、あるとすれば、車両ナンバーが取得できて不特定多数に市販されることが条件である。つまりは、一台限りのスペシャルモデルや、公道を走ることの許されないレーシングカーではないことが暗黙の了解なのだ。
いやはや、このクルマの精神をどう表現すれば良いのか頭を悩ませる。ともあれ、メーカーが本気であることに疑いはない。自らの技術力の誇示であり、プロモーションであり、ブランド構築のためなのであろう。だが結局のところ、エンジニアの意地と意地の張り合いなのだと思う。こんなエキセントリックな世界もある。
【クルマ三昧】はレーシングドライバーで自動車評論家の木下隆之さんが、最新のクルマ情報からモータースポーツまでクルマと社会を幅広く考察し、紹介する連載コラムです。更新は原則隔週金曜日。アーカイブはこちら。木下さんがSankeiBizで好評連載中のコラム【試乗スケッチ】はこちらからどうぞ。