日本でもっとも政治的影響力のあるスポーツはどれなのだろうか。プロ野球、Jリーグ、テニス、バドミントン…。国技である相撲人気は、特に中高年で安定している。お家芸の柔道人気も不動のようだ。スケート、水泳…。数えあげればきりがない。豊かな日本は、スポーツにことさら思い入れが強い。
それが証拠に、スポーツニュースは絶えることなく放映されている。新聞のスポーツ欄も、2面を費やしている。経済や政治に列んで、スポーツは国民にとっての関心事なのである。
モータースポーツ大国
では、モータースポーツはいかがだろうか? 残念ながらリストの上位には上がってこない。僕もレースで禄を食む一人として寂しいかぎりである。最近では、小学生向けの「将来なりたい職業」のベスト10から、レーシングドライバーが消えてしまった。自動車先進国であり、世界でももっとも多くの自動車メーカーが成立しているのに、その自動車を使ったレース人気がピークに達しないのはいかがなものだろうか。当事者として反省しきりである。
一方、アメリカでのモータースポーツ人気は凄まじい。特に、8リッターの大排気量エンジンを搭載し、300キロオーバーで接近戦を演じる「NASCAR(ナスカー)」シリーズは全米で数億人が視聴するというから別次元だ。そのなかでも、毎年のこと年初に開催される「デイトナ500」には、100万人もの観客がサーキットに集結するというから桁が違う。全米で2300万人がテレビ観戦するという。腰を抜かしかける数字である。
もはや東京ドームの安室奈美恵ファイナルと、ラグビー日本代表凱旋パレードが束になっても観客動員では足元にもおよばない。プロ野球やJリーグの比ではないのである。だから、米国大統領のドナルド・トランプ氏がデイトナ500にやってくるわけだ。
政治利用には都合いい
トランプ大統領がデイトナ500のサーキットに顔を出したのは、呑気にレース観戦するためではなく、地方遊説が目的である。時にアメリカは11月に大統領選挙を控えている。民主党は候補者選びの最中だ。その候補者選びに水をさすように、トランプ大統領は戦略的に遊説の場としてデイトナ500を選んだことになる。
NASCARは特に、アメリカ南部で人気が高い。ニューヨークのある東地区やカリフォルニアのある西地区よりも、トランプ支持者の多い地域で人気が高いのだ。そこを遊説の地として選んだ。共和党が票田として大切にしてきた地区でもある。
デイトナ500が開催されるのは、フロリダ州のデイトナサーキットである。NASCARの統括本部はフロリダ州デイトナビーチにある。安倍晋三首相とゴルフを楽しんだトランプ大統領の別荘地、マー・ア・ラゴもフロリダ州にある。NASCARファンの8割は白人というデータもある。NASCARを政治利用するには都合がいいのである。
ここでトランプ大統領は、防弾装備の充実したキャデラックの大統領専用車「プレジデンシャル・リムジン」でレーシングカーを先導した。そしてレーススタートを宣言する。「スタート・ユア・エンジン」-。これはすなわち、トランプ氏が使用するスローガン「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」と叫んだに等しいのである。
モータースポーツが政治利用されることを、両手で歓迎する気にはなれないが、一方で、政治利用の対象になるほどにモータースポーツが国民に浸透していることには憧れを覚える。そして同時に、トランプ大統領陣営の、そのしたたかな戦略に戦慄を感じた。
【クルマ三昧】はレーシングドライバーで自動車評論家の木下隆之さんが、最新のクルマ情報からモータースポーツまでクルマと社会を幅広く考察し、紹介する連載コラムです。更新は原則隔週金曜日。アーカイブはこちら。木下さんがSankeiBizで好評連載中のコラム【試乗スケッチ】はこちらからどうぞ。