でも、それではダメだということが身にしみてわかった。そこで仕事を選ぶ時には、自分にとって努力できそうな場を選んだんです。私は体力だけは人より優れていると思っていたので、当時は難しい仕事だと言われていた運輸会社の配送ドライバーの仕事を選びました。ドライバーで自分なりの結果を出したら、次はテレビ業界へ。制作会社で、伊藤輝夫氏、現在のテリー伊藤氏率いるチームの一員になったんです。面接で伊藤さんに「私は昨年日本一働いた配送ドライバーです」って言い切ったんですよ。それだけ働いていた自負があったからです。実際、22歳の学歴もない若造が、30年前当時で年収480万円。「相当働いてたんだな」ということは伊藤さんも理解してくれたんでしょう。「配送のドライバーとして1年働いた」という小さなキャリアが、ゴールデンタイムの番組を制作するディレクターという新しい道につながったんです。
その後は社内の「事業部」で、制作したコンテンツを使った商売を担当しました。自分で経営を始めたりもするのですが、どれも失敗続き。そろそろ「次は勝たないとまずい」と思って選んだのが、アダルトビデオメーカーでした。伊藤さんのもとで突き詰めた映像制作のスキルを最大限に活かしながら、全力で打ち込める仕事だと思ったからです。ハッタリもありましたが、映像や演出について熱く語れるだけのものを身につけていたからこそ、業界歴の長い監督たちもついてきてくれました。
そこでの大成功がきっかけで、さらに「違うことがやりたい、自分にないものにチャレンジしたい」という気持ちが強くなった。それが、今取り組んでいる農業へとつながります。