「完全主義者でした。大胆なのに細心さもあり、心配性。例えば、商品のロゴの字形でも納得するまで徹底的に考えていました」。完璧なものを世に出したい。百福さんの思いは実を結び、世界的なヒット商品を世に送り出した。
そんな百福さんの考えは終生、変わらなかった。そのため、衝突したことも何度かある。
亡くなる前年、百福さんが95歳のとき。自宅を訪ねた宏基さんは、東南アジアに工場を建てようという計画を話した。しかし、百福さんは「広げ過ぎるな。うまくいかない」。議論を続けたが最後には「俺がやめるか、お前がやめるか、どっちかだ」と怒り出した。
宏基さんはその迫力に圧倒され、「分かりました。わたしがやめます」と譲歩。百福さんは矛を収めた。「もう引退していたのかと思ったら、全然」と苦笑する。