53家は近江南部で勢力を持っていた大名、六角(ろっかく)氏と家臣の関係にあり、戦いのときには兵力を供給するなど六角氏の軍事力の一端を担っていたという。
その53家の名が全国にとどろいたのが15世紀、六角氏が室町幕府9代将軍の足利義尚に攻め込まれたときだ。六角氏の家臣らは地の利を生かし、さまざまな奇襲をかけて幕府軍を苦しめた。この活躍ぶりから「甲賀53家」と呼ばれるようになったとされる。
同市はその甲賀53家に着目し、「望月」「大原」など同じ姓を持つ市内の725世帯にアンケート用紙を送付。忍者の子孫かどうか、手裏剣や巻物など忍者ゆかりの品が残されていないかなどを尋ねた。回答のあった224世帯のうち、31世帯がゆかりの品を持っていると回答した。
ちなみにアンケートでは、現在の職業を尋ねる選択肢に「公安」や「CIA(米中央情報局)」などの“小ネタ”も混ぜたが、もちろん該当者はなかった。