トヨタ、外資系コンサル…かつての職場でクビ寸前 「負けたこと」はいつか大きな財産になる (2/4ページ)

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 「本当に恥ずかしいと思いました。細かな気遣いをしたり、突然の変更に対応しなければいけない仕事。社会人として足腰を鍛えるうってつけの機会だったんです」

 それ以来、どんな仕事に向かっても気持ちに甘さがなくなった。

 ラインを2時間も止めてしまった

 だが、2年間休職しハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得して帰国した後に大失敗をおかす。入社7~8年がたち、生産管理部で設計変更の指示を出す仕事を担当していたある日、指示の出し間違いで必要な部品が届かない事態を引き起こしてしまう。

 「車を1分で1台ずつ製造するラインを、2時間も止めてしまったんです。血の気が引くどころではなく、そのときの記憶が飛んでしまっているほどの衝撃でした」

 中島さんの上司だった課長が車を飛ばして部品工場に調達に行ってくれ、2時間後にラインが復旧したのが「奇跡」と思えた。事態が一段落すると本部長、部長が一緒に工場に謝りに行ってくれた。その姿を見て、「自分のミスでなくても逃げずに責任を取るのが組織長なんだと知りました」。

 後にMSDで営業部長になったとき、部下が問題を起こすと一緒に謝りに行く上司になっていた。

 クビ寸前まで追い詰められたことも

 MBAを生かせる管理職には当分なれそうもなかった。2008年、トヨタからボストン・コンサルティング・グループに移る。転職先とは米国留学時代にインターンを経験した縁。入ってみるとトヨタとはまるで異世界だった。

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