日本画では線で輪郭をとり、2次元の表現が主流であり続けてきた。が、前述したように、西洋絵画は三次元で構造を表現するため、例えば陰影のつけかたが重要なテクニックになる。
コースに参加した牧野類さんに、「コースで何を獲得したと確信しましたか?」と尋ねると、次のように答える。
「新しく、自分の中に無かったものの見方を手に入れられた事です」
牧野さんは絵画鑑賞が趣味であり、西洋絵画は陰影でとらえ表現している、という事は分かっていた。しかし、その理解が十分ではなかったことに気づいた。
「何かを表現するプロセスは、『何を捉え、何を表現するか』と『どう表現するか』の2つに分かれると思います。ぼくは、前者の方が大切だと感じているので、紙の上に描くという行為をデッサンと呼ぶとしたら、デッサンは最重要ではないと思っています」と牧野さん。
対象への観察力を向上するにはどうすればよいか。牧野さんは、その術の一つを得たと確信したらしい。彼の仕事は出版社の編集であるが、「アウトプットの形が文章なのか絵なのかが違うだけで、本質は近いものだと感じています」と語調を強める。
この感想を聞きながら、ぼくは乳幼児教育のレッジョ・エミリア・アプローチに想いを馳せた。2カ月前に「美的要素をコアにおくコミュニティ レッジョ・エミリア教育が導く世界」で書いたことだ。
レッジョ・エミリア・アプローチでアートが重視される理由は、日常世界での観察力を高めることと美的判断力の向上の2つである。ロジックと美的判断あるいは感性は、自転車のペダルのような関係にある、との比喩を創始者のマラグッツィはよく用いたという。