【静岡・古城をゆく 北条五代の史跡】北条早雲の来歴に新説 石脇城(焼津市石脇下) (2/2ページ)

石脇城跡への登り口に建つ案内柱には「伊勢新九朗盛時(北条早雲)ゆかりの山城」とある=焼津市石脇下
石脇城跡への登り口に建つ案内柱には「伊勢新九朗盛時(北条早雲)ゆかりの山城」とある=焼津市石脇下【拡大】

  • 近世山城では大規模な縄張り構造の土塁が残る

 こうして、高位な将軍申次衆であった北条早雲の駿河来歴と時世が明らかになるにつれ、近い将来、戦国大名となる分岐点になった城であったのではないだろうか。現在では興国寺城(沼津市)が「北条早雲旗揚げの城」とされているが、石脇城も「早雲ここにあり」と注目に値する城であろう。

 現在の城跡は、保存会の手により雑木が刈り取られ、整備が進んで見学しやすくなった。予想以上に大規模で、完成度の高い縄張り構造が再認識される。(静岡古城研究会会長 水野茂)