「安定」と「安全」は違う。学歴や肩書は安全基地にならない
すると、大人は何を求めているのでしょうか? そうです、「安定」です。
私たち大人が安全基地とよく勘違いするのが、「安定こそ安全基地である」という考え方です。
では、安定と聞いて、何を連想するでしょうか。
例えば、学歴や組織での肩書といったもの。これらを安全基地だと考える人が比較的多いのです。
社会を生き抜く私たち大人にとって、一見すれば安心のもととなってきたこれらの属性は、果たして安全基地になり得るのでしょうか。
私は、そうは思いません。
学歴が高い、一流企業に勤めている、肩書があるといった心のよりどころには、むしろ個々の脳リミットを決めつけてしまい、チャレンジ精神の障害となり、成長を停滞させてしまう危険すら潜んでいるというのが私の考えです。
なぜなら、学歴だけで「自分には実力がある」と勘違いしたり、肩書があるだけで「自分は偉い」と勘違いしてしまう。やがて、そうした地位を守ることだけに必死になっていくからです。そうなると、自分の限界を超えてチャレンジできることが限られてしまいます。
もちろん、必ずしも一流大学卒や一流企業の社員であることがいけないといっているわけではありません。
これまで必死に努力をして手に入れた学歴や肩書と同じように、自分のなかに蓄積してきた知識やスキルを安全基地にすれば、新しいチャレンジをすることができ、さらなる高みへと到達することができるはずなのです。